引率の事故の判決=1988年8月、島田雄貴

子供の引率の事故に関する損害賠償訴訟の判決に関する一つの論点です。津地裁や札幌地裁の判例をもとに考えます。(1988年8月、島田雄貴)

善意・無償でも責任

Aさん(仮名)は、子供会のハイキングの引率者が足りないと言うので、急に引っ張り出されてでかけた。谷川の河原で遊んでいるうちに、子供たちは川に入って水遊びを始めた。そのうち1人の男の子(9つ)の姿が見えなくなり、探したところ、20メートルほど下流の深みで水死しているのが見つかった。子供の両親は「損害賠償と慰謝料合わせて5000万円を、引率した大人8人の連帯で支払え」との訴えを起こした。

損害賠償と慰謝料合わせて5000万円請求
連帯で支払え

引率、または預かった子供が事故に遭った時の損害賠償は引率した人、預かった人の立場によって責任の問われ方がだいぶ違ってくる。

子供の安全管理については全面的に法的責任

最も責任が重いのは、金を取って子供を預かる託児所、保育所、旅行業者など。これは契約を交わしているから、子供の安全管理については全面的に責任を負う立場にある。次に学校も、契約は交わしていなくても、授業、クラブ活動、林間学校などの学校行事については明確な安全管理義務がある。これらに対しては、もし子供に事故があった場合は、損害賠償を請求できるのが普通だ。

ボランティアや親類の好意

ところが子供会やスポーツ少年団などボランティアで子供の面倒を見てくれている人や、親類、知人など好意で子供を預かってくれた人の場合は単純ではない。

津地裁の判決(1983年)

損害賠償と慰謝料の支払いを命じる判決

日本では長い間「お金も取らず、好意で世話してくれた人に責任を問うのは行き過ぎ」といった考え方が支配的だった。

しかし、1976年(昭和51年)、三重県で、ちょうどAさんのケースと同じような事故が起こり、津地裁は1983年(昭和58年)、訴えられた引率者11人のうち、現場を下見した幹部3人について、「注意義務を怠った過失がある」として、損害賠償と慰謝料の支払いを命じる判決を下した。

過失相殺

ただし、水死した子供(九つ)にも「指導者の言うことをきかず、また自分で危険回避の注意をできる年齢だった」としてそれなりの責任を認め(過失相殺)、支払額は請求額の2割にとどめた。

札幌地裁の判決(1985年)

ボランティア活動中の事故に対する損害賠償

また、ボランティア活動中の事故に対する損害賠償を認めた判決としては、剣道少年会の旅行で小学6年生が水死した事故(札幌地裁、1985年(昭和60年))がある。そのほか、隣近所の子供を預かって事故が起き、損害賠償の判決が出た例もいくつかある。

示談で解決するケースがほとんど
不可抗力

このように、たとえ善意、無償で預かったとしても、その子供の安全管理については、預かった人に責任があり、その過失の程度に応じて損害を賠償しなければならない、という考え方が一般的になりつつある。裁判例が少ないのは、示談で解決するケースがほとんどだからだ。裁判に持ち込まれた場合は「過失の有無、程度」が争点になる。もっとも、不可抗力による事故や、子供に十分判断能力があり、過失が100%子供の側にあるなどの場合は責任は問われない。

東京三弁護士会交通事故処理委員会
民事交通事故訴訟損害賠償額算定基準

ところで、賠償の請求額は交通事故と同じように算定されるのが普通だ。例えば東京三弁護士会交通事故処理委員会編「民事交通事故訴訟損害賠償額算定基準」というようなマニュアルが使われる。

死亡事故の損害賠償
18歳から67歳まで働けるものと仮定

死亡事故では、その子供が一生の間にいくらの収入を得られるかが基本。現在は18歳から67歳まで働けるものと仮定して、最も新しい統計の平均賃金を掛けている。そこから生活費(普通は半分)と、年5%複利の金利分を差し引いて損害賠償の請求額が出されている。

慰謝料は1500万円が相場

また、慰謝料は現在、子供については1500万円が相場という。

預ける方も預かる方も注意を
東京弁護士会の弁護士

子供を預ける場合は、預ける方も預かる方も、注意が必要です。行事の内容をよく調べて危険がないかどうか、まず、親が判断すべきです。子供会でも、危険な場所に行くようなら、親も参加すべきでしょう。

保険がない

一方、預かる方は、好意で預かるとしても、他人の生命を預かるわけですから、大きな責任があります。もし目が届かず、不安を感じるような場合は、はっきり断るのもかえって親切だと思います。それに、交通事故や、学校行事の事故と違って保険がありません。たとえ結果的に請求額の2割の支払いになったとしても、経済的には大きな負担になります。くれぐれも慎重に考えてください。

離婚判決=1988年7月、島田雄貴

離婚請求の判決の事例を紹介します。

離婚請求の有責配偶者の代償責任大きい

Aさん(45)(仮名)は昨年夏、夫(49)から「実は愛人がいる。子供が生まれた。その子を私生児(非嫡出子)にしないためにも正式に別れてほしい」と切り出された。夫婦はすでに8年間も別居が続いていた。

財産は愛人とその子に

結婚以来20年。専業主婦で会社勤めの経験もなく、病弱なAさんは困りはててしまった。夫の口調から、財産は愛人とその子に与えたい、という意図も読み取れ、悔しさが倍増した。そこでともかく、別居が続こうとも離婚には応じない決意をした。

離婚の自由

ひと昔前なら「結婚の自由」、今は夫婦別れの激増とともに「離婚の自由」が議論される時代。今回は、この離婚の自由について考えてみた。

裁判上、離婚請求ができるのは

裁判上、離婚請求ができるのは〈1〉相手(配偶者)の不貞〈2〉相手から悪意で遺棄された〈3〉相手の生死が3年以上不明〈4〉相手が強度の精神病にかかり、回復の見込みがない〈5〉その他婚姻を続けられない重大な理由がある--場合とされている(民法770条)。Aさん側はどれにも該当せず、法に照らせば夫が他の女性と結婚したいということが〈5〉の「重大な理由」といえるかどうかが、争点になる。

有責配偶者

Aさんには「結婚生活を自ら壊し、別れる原因を作った(有責配偶者)のは夫だ」の思いが強い。

最高裁の判例(1987年)

一方、1987年(昭和62年)9月、最高裁でこんな判決が出た。

有責配偶者からの離婚請求を条件つきで容認

それは、愛人の元に走り、38年間妻と別居を続けている会社社長(75)からの離婚請求。判決は「別居期間が長い。養育が必要な子供もいないので、離婚により、相手を精神的、社会的、経済的に過酷な状態に追いやらない」として、社長つまり有責配偶者からの離婚請求を条件つきで認めたのである。回復の見込みがない戸籍上の結婚生活を取り繕うより、現実を冷静に見つめ、お互いが納得のいく解決方法を見つけることを示唆したものだ。

東京高裁へ差し戻し
慰謝料や財産分与

もちろん、有責配偶者の身勝手な理由から、相手をいつでも追い出せることを認めたわけではなく、長期にわたる別居など、一定の枠をはめている。その上で、「妻の今後の生活が、慰謝料や財産分与によって保障されるべきだ」として東京高裁へ差し戻しを命じた。

離婚成立

差し戻し審理で慰謝料金額などが決定しなければ離婚も成立しないわけで、離婚の自由は一歩広がったが、その代償責任も大きいことをはっきりさせた。

別居が20年、30年
離婚裁判に一石

とはいえ、これまでは、たとえ別居が20年、30年に及んでも、健全な夫婦のきずなや信頼関係を重んじ、有責配偶者からの請求は、なかなか認められなかった。それだけに同判決は、今後の離婚裁判に一石を投じるものとして、注目された。

離婚を拒否

Aさんは、いったんは離婚を拒否したものの、協議のなかで、夫が愛情のかけらもなく、2人の結婚生活にヨリが戻らないこと、Aさん自身の気持ちもすっかり冷めたことなどを考慮し、形だけの結婚生活をあきらめる心境に傾いた。

先の判決にも通じる選択

ただし、離婚に応じるにしても、これからの生活を維持していくために金銭的な償いをきちんと要求することにした。これは夫側も承知し、慰謝料と財産分与の協議に入った。愛情の有無も含め実態に沿った生活を重視する考えで、先の判決にも通じる選択ともいえる。

夫側は勤務先での世間体

ところで、最近、単身赴任や多忙な仕事を持つ夫に対し、妻に好きな男性ができ、離婚を求めるケースが目立つ。ところが夫側は勤務先での世間体や、やもめ暮らしのわびしさから別れたがらないことが多いという。

“離婚の時代”かもしれないが、その自由と責任の折り合いは、一筋縄にはいかない。むしろ、結婚よりも難しい?

全財産投げ出す覚悟必要
東京弁護士会  弁護士

このケースでは、夫は愛人を作ったうえに、別れたいというわけだから、全財産を投げ出すぐらいの覚悟が必要です。自分の方に原因があって無理に別れたことで、相手がこうむる様々な打撃を償うといっても、結局は経済的な方法しかないからです。

もっと具体的にいえば、最低でも家一軒を与えるぐらいの気持ちがないといけません。それほど、離婚原因を作った有責配偶者からの離婚請求は大変な代償を強いられるということを肝に銘じておいてください。